認知言語学の意味観

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言葉の「意味」の定義をめぐって、様々な議論が行われている。古くは、言葉は世界の事象をラベルングしたものという言語名称目録観にはじまり、その批判としてのソシュールの記号観が生まれた。

20世紀以降、主流となった意味観に非単一階層的アプローチ (two-level approach)がある。これは、言語的な情報である語彙的知識(lexical knowledge)と、語の背景にある一般的情報である百科事典的知識(encyclopedic knowledge)を分ける考え方だ。

非単一階層的アプローチによれば、語彙の情報は語彙的知識のみで構成され、これはもっぱら意味論(semantics)の研究対象となる。百科事典的知識は言語外知識(extralinguistic knowledge)とされ、いわばコミュニケーションを円滑にする「おまけ」のような存在だろう。これは語用論(pragmatics)で扱われる別の概念だ。

生成文法は非単一階層的アプローチを支持する。生成文法の考え方では、人は普遍文法(universal grammar)を持った状態で生まれ、言語獲得装置(language acquisition device: LAD)によってそれを対象言語にチューニングしていく。意味は認知能力と依存関係にないため、意味を言語現象(語彙的知識)のみに絞る非単一階層的アプローチと相性が良い。

しかしながら、言語外知識と百科事典的知識を線引することで、説明できない事象が多く存在する。例えば、我々は「父」という語句の意味を語彙的知識で考えれば、[男性], [一世代上], [直系]といった情報を得ることができる。

では、「◯◯は経営学の父」のようなメタファー表現が使えるのはなぜだろうか。これ以外にも、「国父・神父」といった表現があったり、「父」から温かさ、懐かしさ、あるいは人によっては憎しみを感じる理由はなんであろうか。

そこで、認知言語学の意味観では、語彙的知識と百科事典的知識の区別を行わない単一階層的アプローチ(one-level approach)を取る。意味には認知主体の概念化プロセス(conceptualization)が反映されており、概念・知識・経験などの体系的ネットワークが意味の構築に影響を及ぼす。

例えば、「たまご」という言葉を考えてみよう。たまごの語彙的知識が「ニワトリが生む白い物体」がだとすれば、百科事典的知識は「孵化する」、「新たな生命が生まれ育つ」などが考えられるだろう。それゆえ、「アイドルのたまご」といったような拡張的な表現が可能となる。

このように、語彙的知識と百科事典的知識の両方が意味形成に関わるとすれば、意味は無限に拡張できてしまうように思われる。実際、日々新しい語句が自然発生的に使われている様子を見れば、それはあながち間違いではない。

ここで重要なのが、我々がある概念に対し、無造作に百科事典的知識を当てはめているわけではないということだ。意味はそれを最も典型的に表すプロトタイプ(prototype)が存在し、抽象化概念であるスキーマ(schema)を中心としたカテゴリー化(categorization)が起こる。語句の意味とは、その語句自身が形成するカテゴリーにどの程度認められるかといった、段階的なものと考えられる。

認知言語学の意味観は、外国語教育に応用できるポテンシャルを秘めている。これまで「英単語A=ある1つの語彙的知識」と数学の公式のように学習したため、単語をいくら覚えてもスキーマの発達に貢献していなかったきらいがある。

単語の学び方を抜本的に変えることで、語彙習得にイノベーションを起こせるかもしれない。

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