ゲシュタルト知覚と構成性の原理

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1+1は2となり、2+2は4となる。単純な算数では要素同士を足し合わせることで、それが全体となることは容易に理解できるだろう。しかし、言語において「部分」と「全体」の関係性は、長年議論の的となってきた。

心理学や自然科学の世界で、分解された個々の要素を再結合することで、意味の総和を導き出す考えは要素主義と呼ばれる。これは言語の世界で構成性の原理(principle of compositionality)として知られ、今でも外国語教育の理論的支柱となっている。

構成性の原理において、言語は規則によって合理的に産出できる存在である。それぞれの語句や文法には固有の意味があるため、それらを足し合わせれば全体の意味が認識できると仮定される。

しかし、構成性の原理が成立するのは言語表現の一部であり、日常で使う様々な表現はこれが成り立たない。例として、句と文の両方を見てみよう。

  1. a morning person (朝型の人)
  2. He pushed the door open. (彼はドアを押して開けた)

1つ目は句の例だが、a, morning, personの三要素を単純に足し合わせただけでは意味が通じない。ここでは[名詞+person]という形を取ることで、「〜型の人」という一種のイディオムが生成できるため、結果として「朝型の人」の意味となる。

2つ目は文の例だが、pushは「押す」、openは「開く」をそれぞれ意味する。しかし、語句の意味を足すだけでは、the door(そのドア)の状態的な変化を伴う使役的な意味にはならない。文章全体の意味を解釈する結果、語句要素の総和を超えた「ドアを押すことで開く」という結果の意味が生成されるのだ。

このように、言語には部分の足しあわせが全体にならないというゲシュタルト性が認められる。言語表現のゲシュタルト性は語句、構文、センテンス、テクストなど、すべての単位に存在すると言われる。

言語は全体を知覚することではじめて、各要素の意味を同定することができる。全体は部分の前提なのである。

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